Gina “Blue Cacique”
色彩美!ブルーのハーモニー
Gina
本品は、『バラブシュカ』や『ザンボッティ』と同時代の老舗カスタムキューメーカーである、巨匠『Gina ジナ(アーニーギュテレス氏)』 2013年制作の”Blue Cacique”※ブルーカシケ(カシケ:部族の首長や指導者の称号)華麗な様式美と色彩美を併せ持つ、まさに至高の芸術品です!Excellent!!
エボニーに映える爽やかなブルーグラデーションはまさに芸術品です!
Custom Cueをラグジュアリーな芸術の域へと到達させ、観る者を魅了する素晴らしい逸品で、気高さを纏うオーラは、言葉では表現し難いほどの神々しさです。
ブルーカシケには、同一デザインが存在するものの、配色によって印象がずいぶん変わります。
本作のブルーグラデションは1of1、特別仕様品です!
ブルーカシケのウッドグリップも唯一作品です!!
Thank god for the miracle that I met this.
Thank you Living legend. (O)
◇Bat Sleeve
エボニーに映えるスタイリッシュな幾何学模様のインレイワークが際立ちます。
エッジの効いたダイヤがアクセントとなり、完成されたデザインに仕上がっています。
シルバープレートのGinaのロゴが価値をさらに押し上げています。
◇Forearm
フォアアームは、ブリッジデザインの5剣です。
濃淡が剣の内側から外側にかけて薄くなるグラデーションは、剣そのものが引き締まり、細く長く美しく見えます。
◇Overall
Black x White … Blue。アクセントにSilver。
綺麗にまとめられた配色にBlueの濃淡で表現された世界が完璧な美を確立しています。
◇Other
さすがGina…ジョイントプロテクターまでもカッコいい!!
エボニーの3分割グリップにターコイズのアクセントとなっているラダーリングが用いられています。
グリップまで余すところなく贅を尽くしています。
ジョイントには、制作年数とシリアルの刻印があります。
CUE DATA
Name Gina “Blue Cacique” Performance オリジナルシャフト×2
5/16-18山 パイロッテッドウイットンGinaオリジナルケース(1B2S)
Spec New Goods Rank S
Curve Level S Bonus オリジナルジョイントプロテクター1B2S
Status GALLERY NEGOTIATION 以下、Blue Book of Poolより
「アーニー・ギュテレスがキュー作りを始めたのは、ジョージ・バラブシュカがキュー作りを始めた僅か2年後であり、その8年後にはガス・ザンボッティがキュー作りを始めた。
それ故自身のキューの他に、バラブシュカとザンボッティのリペアも請け負っています。
ジナキューは映画にも登場しており、「アメリカン・プレジデント(原題)」に主演するマイケル・ダグラスから大統領にふさわしいキューだと選ばれました。
1970年代に一時キュー製作から離れていたものの、1988年に復活。
貴金属をふんだんに使用した高級感と、そのプレーアビリティの高さから、1970年代初頭には、多くのトーナメントプレイヤーが争ってこのジナキューを使用していました。
現代でもプレイヤー、コレクターの間でともに人気の高いカスタムキューとなります。
アーニーの父は木工職人で趣味で楽器作りをしていました。
木工芸術への関心と知識を持ち、ビリヤードを楽しんでいたティーンエイジャーは、やがてキューの修理を始めます。
この時期の著名なキュー職人はロサンゼルスのハーベイ・マーティンや、シカゴのハーマン・ランボウ、ニュージャージーのフランク・パラダイスぐらいでした。
1962年の初め、アーニーが最初のキューを製作した日は、娘ジナが誕生して僅か6日後だったことから、彼は工房を”ジナキュー”と名づけました。
この頃キュー業界は映画「ハスラー」の影響もあって復活し、アーニーにとって難しい商売ではありませんでした。
1962年の終わりにリッチー・フローレンスがジナキューを携えてローカルトーナメントで優勝してから、注文が殺到したそうです。
この頃のジナキューは65ドル程度で売られていました。
しかし偉大なキューメーカーとしてその名を認められたいと考えていた彼は、単純なデザインの従来のキューにかわって、めずらしい素材と芸術的なデザインのキューを作れば売れるのではと感じていたそうです。
1966年、現在でも見劣りしないキューを作ったとき、そのキューを手にイリノイ州ジョンソンシティのトーナメント会場に赴き、キューを披露し人々を驚かせました。
200枚用意した彼の名刺は1時間で無くなったという話です。
60年代の終わりには、貴金属、宝石までも多様に使用したキューを作り、数千ドルという当時でも高価な値段で取引されていました。
顧客リストにはディーン・マーティン、フランク・シナトラ、サミー・デイビスJr、スティーブ・マックイーン、ピーター・フォークなど他にも多くの著名人が名を連ねていました。
70年代になると、スタイルとプレイアビリティが評判になり、多くのプレイヤーがジナキューを使うようになっていました。
カスタムキューメーカーとして彼は尊敬と賞賛を成し遂げたのです。
他の分野への興味と関心から、1973年にアーニーはキュービジネスを離れ、レースカーと航空機のデザイン・設計に没頭しました。
インディ500で走る彼の”Lola”の燃料噴射システムも手がけ、さらに産業器材を設計して、専門機械加工と溶接に関与しました。
いつかはまたキュービジネスに戻ろうと考えていた彼は、1988年にカムバックしました。
設計と製造での15年の経験を生かし、キュー製作の大部分の機械を自分でカスタマイズしました。
今でも多くのキューメーカーが見学に訪れる彼の工房は北ハリウッドにあり、現在もキュー職人として活躍しています。」
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