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  • Gina “Flower garden”

    2020.12.20カテゴリー: COLLECTOR'S GALLERY, タグ: GinaCues

    絶大な人気を誇る代表的なデザイン

    Gina

    様々な素材で製作されているGinaキュー代表的なデザイン17b…通称“Flower garden”

     

    本品は、2001年に製作された作品です。

    美しいバーズアイメイプルが目を惹く逸品です。

    フラワーガーデンと言われるゆえんであるエボニーに映えるインレイが華やかです。

    状態も良好で、専用キューケースが付属しております。

     

    多くの方に愛されており、ファンも多くいる17bを探している方も多いのではないでしょうか。

    素材により様々な表情がみられることも多くのファンを虜にする魅力の一つだと感じます。

    宝石箱のように“素材の美しさ”が詰まった1本です。

     

     

     

     

     

     

    CUE DATA

    Name Gina 17b “Flower garden” 
     Performance

     シャフト3本[ノーマル2本/ハイテクシャフト1本]

    Spec  Used
    Goods Rank  A
    Curve Level  A
    Bonus

     カスタムジョイントプロテクター付属

    (Ginaロゴ入/55,000円相当)

    以下、Blue Book of Poolより

    「アーニー・ギュテレスがキュー作りを始めたのは、ジョージ・バラブシュカがキュー作りを始めた僅か2年後であり、その8年後にはガス・ザンボッティがキュー作りを始めた。

    それ故自身のキューの他に、バラブシュカとザンボッティのリペアも請け負っています。

    ジナキューは映画にも登場しており、「アメリカン・プレジデント(原題)」に主演するマイケル・ダグラスから大統領にふさわしいキューだと選ばれました。

    1970年代に一時キュー製作から離れていたものの、1988年に復活。

    貴金属をふんだんに使用した高級感と、そのプレーアビリティの高さから、1970年代初頭には、多くのトーナメントプレイヤーが争ってこのジナキューを使用していました。

    現代でもプレイヤー、コレクターの間でともに人気の高いカスタムキューとなります。

    アーニーの父は木工職人で趣味で楽器作りをしていました。

    木工芸術への関心と知識を持ち、ビリヤードを楽しんでいたティーンエイジャーは、やがてキューの修理を始めます。

    この時期の著名なキュー職人はロサンゼルスのハーベイ・マーティンや、シカゴのハーマン・ランボウ、ニュージャージーのフランク・パラダイスぐらいでした。

    1962年の初め、アーニーが最初のキューを製作した日は、娘ジナが誕生して僅か6日後だったことから、彼は工房を”ジナキュー”と名づけました。

    この頃キュー業界は映画「ハスラー」の影響もあって復活し、アーニーにとって難しい商売ではありませんでした。

    1962年の終わりにリッチー・フローレンスがジナキューを携えてローカルトーナメントで優勝してから、注文が殺到したそうです。

    この頃のジナキューは65ドル程度で売られていました。

    しかし偉大なキューメーカーとしてその名を認められたいと考えていた彼は、単純なデザインの従来のキューにかわって、めずらしい素材と芸術的なデザインのキューを作れば売れるのではと感じていたそうです。

    1966年、現在でも見劣りしないキューを作ったとき、そのキューを手にイリノイ州ジョンソンシティのトーナメント会場に赴き、キューを披露し人々を驚かせました。

    200枚用意した彼の名刺は1時間で無くなったという話です。

    60年代の終わりには、貴金属、宝石までも多様に使用したキューを作り、数千ドルという当時でも高価な値段で取引されていました。

    顧客リストにはディーン・マーティン、フランク・シナトラ、サミー・デイビスJr、スティーブ・マックイーン、ピーター・フォークなど他にも多くの著名人が名を連ねていました。

    70年代になると、スタイルとプレイアビリティが評判になり、多くのプレイヤーがジナキューを使うようになっていました。

    カスタムキューメーカーとして彼は尊敬と賞賛を成し遂げたのです。

    他の分野への興味と関心から、1973年にアーニーはキュービジネスを離れ、レースカーと航空機のデザイン・設計に没頭しました。

    インディ500で走る彼の”Lola”の燃料噴射システムも手がけ、さらに産業器材を設計して、専門機械加工と溶接に関与しました。

    いつかはまたキュービジネスに戻ろうと考えていた彼は、1988年にカムバックしました。

    設計と製造での15年の経験を生かし、キュー製作の大部分の機械を自分でカスタマイズしました。

    今でも多くのキューメーカーが見学に訪れる彼の工房は北ハリウッドにあり、現在もキュー職人として活躍しています。」

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