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    2018.12.4カテゴリー: COLLECTOR'S GALLERY, タグ: CuesGina

    希少なメイプル”The Rasputin”

    Gina

    『バラブシュカ』や『ザンボッティ』と同時代の老舗カスタムキューメーカー『GINA』の代表作品である”The Rasputin”のなんと!!珍しいメイプルベースです。Excellent!!

     

    現在、当店HP上で掲載中のシルバートリム/ラスプーチン(エボニー/ピンクアイボリー)も大変希少な逸品ですが、こちらもなかなか希少な逸品です。

     

    メイプルベースに白い剣が際立ち、素材本来の美しさを余すところなく堪能できる1本です。

     

     

     

     

     

     

     

     

    CUE DATA

    Name GINA”The Rasputin”(Maple)
    Performance

    ・1B2S(S:オリジナル×1・314シャフト×1本)
    ・5/16-18山 パイロッテッド

    Spec Used
    Goods Rank

    B ※リフィニッシュ済

    Curve Level  A
    Bonus

    ジョイントプロテクター1B2S(GINA)

    Inquiry GALLERY

     

    以下、Blue Book of Poolより

    「アーニー・ギュテレスがキュー作りを始めたのは、ジョージ・バラブシュカがキュー作りを始めた僅か2年後であり、その8年後にはガス・ザンボッティがキュー作りを始めた。

    それ故自身のキューの他に、バラブシュカとザンボッティのリペアも請け負っています。

    ジナキューは映画にも登場しており、「アメリカン・プレジデント(原題)」に主演するマイケル・ダグラスから大統領にふさわしいキューだと選ばれました。

    1970年代に一時キュー製作から離れていたものの、1988年に復活。

    貴金属をふんだんに使用した高級感と、そのプレーアビリティの高さから、1970年代初頭には、多くのトーナメントプレイヤーが争ってこのジナキューを使用していました。

    現代でもプレイヤー、コレクターの間でともに人気の高いカスタムキューとなります。

    アーニーの父は木工職人で趣味で楽器作りをしていました。

    木工芸術への関心と知識を持ち、ビリヤードを楽しんでいたティーンエイジャーは、やがてキューの修理を始めます。

    この時期の著名なキュー職人はロサンゼルスのハーベイ・マーティンや、シカゴのハーマン・ランボウ、ニュージャージーのフランク・パラダイスぐらいでした。

    1962年の初め、アーニーが最初のキューを製作した日は、娘ジナが誕生して僅か6日後だったことから、彼は工房を”ジナキュー”と名づけました。

    この頃キュー業界は映画「ハスラー」の影響もあって復活し、アーニーにとって難しい商売ではありませんでした。

    1962年の終わりにリッチー・フローレンスがジナキューを携えてローカルトーナメントで優勝してから、注文が殺到したそうです。

    この頃のジナキューは65ドル程度で売られていました。

    しかし偉大なキューメーカーとしてその名を認められたいと考えていた彼は、単純なデザインの従来のキューにかわって、めずらしい素材と芸術的なデザインのキューを作れば売れるのではと感じていたそうです。

    1966年、現在でも見劣りしないキューを作ったとき、そのキューを手にイリノイ州ジョンソンシティのトーナメント会場に赴き、キューを披露し人々を驚かせました。

    200枚用意した彼の名刺は1時間で無くなったという話です。

    60年代の終わりには、貴金属、宝石までも多様に使用したキューを作り、数千ドルという当時でも高価な値段で取引されていました。

    顧客リストにはディーン・マーティン、フランク・シナトラ、サミー・デイビスJr、スティーブ・マックイーン、ピーター・フォークなど他にも多くの著名人が名を連ねていました。

    70年代になると、スタイルとプレイアビリティが評判になり、多くのプレイヤーがジナキューを使うようになっていました。

    カスタムキューメーカーとして彼は尊敬と賞賛を成し遂げたのです。

    他の分野への興味と関心から、1973年にアーニーはキュービジネスを離れ、レースカーと航空機のデザイン・設計に没頭しました。

    インディ500で走る彼の”Lola”の燃料噴射システムも手がけ、さらに産業器材を設計して、専門機械加工と溶接に関与しました。

    いつかはまたキュービジネスに戻ろうと考えていた彼は、1988年にカムバックしました。

    設計と製造での15年の経験を生かし、キュー製作の大部分の機械を自分でカスタマイズしました。

    今でも多くのキューメーカーが見学に訪れる彼の工房は北ハリウッドにあります。」

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